人手不足で業務が集中し、限界を迎えた30歳の営業主任。部下に指示を出すだけで18時前に退社する上司、再三の業務改善提案も無視され続け、ついに退職を決意する。しかし、ただ辞めるだけでは気が済まない。彼がとった行動とはーー。
近年注目される「リベンジ退職」の実態、起きやすい職場の特徴などを、事例をもとに社会保険労務士の木村政美氏が解説する。
本記事の登場人物
A川さん:30歳。 大学卒業後、中規模飲料メーカーの甲社に就職し営業課に配属。順調に業績を伸ばし2年前に営業主任に昇進したが、中途退職者の補充が追いつかず人員が減る一方で業務が集中、再三業務改善を提案したが上司に無視され続け、心身ともに限界を感じて退職を決意。引継ぎを拒否し連絡先を遮断する「リベンジ退職」を実行し、会社を混乱に陥れた。
B山課長:40歳。 甲社営業課の課長。部下には指示を出すだけで実務に関与せず、会議の出席以外は自席で過ごし18時前に退社していた。A川さんからの業務改善提案を会食などを理由に無視し続け、新製品のプレゼン資料作成などもA川さんに丸投げしていた。
C田専務:45歳。 甲社の人事労務の責任者。A川さんの退職後、営業課の混乱を受けて、ある行動に出る……。
リベンジ退職の定義と注目を集める理由
「リベンジ退職」とは、退職のプロセスやその後の行動において、退職者が企業に対して意図的に“仕返し”を行う形で職場を去ることをいい、企業に損害や混乱を与える場合も多い。
近年、リベンジ退職が注目されるようになった背景には、以下のような事情があげられる。
(1)働き方改革によるワークライフバランス重視で、若手社員などの労働時間が短縮傾向にある一方、業務が中堅層に集中し「頑張る人ほど負担が重くなる」傾向が不満の発生につながっている。
(2)終身雇用の崩壊により「会社に尽くす」よりも「自分を守る」ことが優先される時代に移行した。社員は会社を「選ぶ側」となり、退職は単なる離脱ではなく、職場への抗議や意思表示の手段としても捉えられるようになった。
(3)人事評価制度の不透明さ、上司の責任放棄などの職場の構造的問題により、社員の不満増大に繋がり退職時に“仕返し”という形で意思を示すことが増えた。
(4)SNSやブログなど個人が情報発信できる場が増え、退職者が会社の内情を発信し、共感や拡散を呼ぶことで、リベンジ退職は“個人の選択”から“社会現象”へと広がりをみせている。
このように、リベンジ退職は単なる感情的な行動ではなく、職場構造と企業に対する社会や個人意識の変化が生み出した「抗議のかたち」として位置づけがされるようになった。
どんなリベンジが行われているのか
リベンジ退職の具体的な言動とはどのようなものか。
(1)引継ぎ拒否・情報遮断
退職時に業務マニュアルや顧客情報をデータや文書で残さず、口頭説明も行わない。特に属人化された業務では、引継ぎ不在が業務停滞に直結する。背景には「自分がいなくなることで困らせたい」という思いがある。
(2)連絡遮断・音信不通
退職後すぐに電話番号やメールアドレスを変更し、会社との接触を断つことで、緊急連絡や顧客対応の確認ができず、社内が混乱する。背景には、退職後は会社との関係を遮断したい意思がある。
(3)SNS・ブログでの暴露
X(旧Twitter)などのSNSで会社の内情や不満を発信する。背景には、「社内では声を上げられなかったので、退職後に“真実”を伝えたい」という欲求がある。実名や社名を出すなどのケースでは、企業イメージダウンを狙う意図もある。
(4)退職代行の利用
第三者(退職代行業者)を通じて退職手続きをすることで、引継ぎや会社との面談を拒否する手段として使われる。背景には、上司との関係悪化、精神的負担、直接対話への恐怖(パワハラを受けたなど)により、会社と直接やり取りをしたくない考えがある。
(5)競合他社への転職・ノウハウ流出
前職の業務知識や顧客情報を活かし競合企業へ転職する。背景には自分のスキルに対する承認欲求などがある。
(6)社内資料の持ち出し・削除
退職前に社内共有フォルダから資料を削除、または個人PCにデータを移行して持ち出すことで、業務の再構築に時間がかかるなどの損害を与える。背景には、自分の成果を守りたい、職場を混乱させ困らせたい思いがある。
しかし、リベンジの内容によっては、名誉毀損や守秘義務違反、不正競争防止法違反、さらには業務妨害罪などに抵触し、法的リスク、更には損害賠償請求などの民事的リスクを伴うことを認識したい。
リベンジ退職が起きやすい職場
リベンジ退職が発生しやすい職場には、いくつかの共通した傾向がある。
(1)業務の属人化が進み、特定の社員に業務が集中している。
業務が特定の個人に依存していると、負担が過剰になりやすい。他者に頼れない状況が続くと疲弊や不満が蓄積しやすくなる。
(2)上司は部下への指示のみで実務に関与しない。
マネジメント層が部下の過重負担を理解せず責任を持たない場合、部下は孤立感や不公平感を抱きやすく、信頼関係が崩れやすい。
(3)評価制度が不透明で努力が報われにくい。
成果や貢献が正当に評価されない職場では、モチベーションが低下し、退職時に「報復的な意思表示」を選ぶ社員が出やすくなる。
(4)退職手続きや引継ぎのルールが曖昧である。
退職に関するルールが整備されていないと、社員が「どんな辞め方をしてもかまわない」と感じやすい。
(5)職場の心理的安全性が低く、意見や不満を表明しても無視される、そもそも声を上げられない環境では、社員は「最後に行動で示すしかない」と考えやすい。
以上からすると、リベンジ退職は、組織が不満や不公平を放置した結果として社員が取る最終的な意思表示であるともいえるだろう。
リベンジ退職が企業にもたらす影響
(1)業務停滞・生産性の低下
引継ぎがないか不完全なまま退職されると業務の継続性が損なわれる。特に属人化された業務は、誰も対応できず顧客対応や社内処理が滞る。
(2)顧客・取引先との信頼低下
担当者不在による対応遅延やミスが発生し、顧客からの信用を失う。「人が辞める=企業に問題がある」と受け止められ、取引停止や契約解除の可能性もある。
(3)社内の不安拡大・離職連鎖
残った社員が「次は自分がリベンジされるかもしれない」と感じるなど、職場の心理的安全性が低下し、モチベーションや社員の定着率悪化に繋がりやすい。特に若手社員は、退職者の行動(例えば退職代行など)を「選択肢のひとつ」として認識しやすい。
(4)企業のイメージ悪化・人材の採用活動に支障が出る
SNSや口コミサイトで会社の内情が暴露される。例えば「ブラック企業」「引継ぎなしで辞める人が多い」などの書き込みにより、企業のイメージが悪化することで、応募者が減少もしくはなくなる恐れがある。
(5)情報漏洩・法的リスクへの対応
社内資料や顧客情報の持ち出し・削除が発生した場合、企業は法的措置を取るだけでなく、取引先などへの謝罪対応にも迫られる。訴訟に発展する可能性もあるため、極めて慎重な対応が求められる。
リベンジ退職を未然に防止する方法
では実際に、企業がリベンジ退職を未然に防ぐにはどのような工夫が必要なのか。ここからは、具体的な方法の一部を見ていく。
(1)業務の属人化を防ぐ
業務が特定の社員に偏ると退職時に業務が滞るリスクが高まる。マニュアル化と情報の共有化により、誰でも業務を引き継げる体制を整えることで、退職者の“引継ぎ拒否”による混乱を防ぐ。
(2)定期的な面談を実施する
社員が不満や疲弊を抱えたまま退職に至ることを防ぐため、定期的な面談を通じて業務量や職場環境の課題を早期に把握し、改善につなげる。声を上げられる場があることで、退職時の“抗議行動”を回避しやすくなる。
(3)評価制度の透明化
努力が報われない職場では、社員の不満が蓄積しやすい。人事評価基準を明確にし、定量・定性の両面から公正な評価を行うことで、納得感を高め、退職時の反発を抑える。
(4)上司の責任を明確化する
マネジメント層が実務に関与せず責任を持たない場合、部下の不満が高まりやすい。上司の役割に「業務支援」「部下の育成」「業務分担」などを含め、責任範囲を明確にすることで、職場の信頼関係を強化する。
(5)退職手続きの整備をおこなう
退職時の手続きが曖昧だと、即日退職、引継ぎ拒否が起こりやすい。就業規則に「退職の意思表示時期」や「業務引継ぎの義務」を明記し、会社への用具返還や退職の意思表示日以降のPC使用禁止などを定めた手続マニュアルを整備することで、リベンジ退職による損害リスクを小さくすることができる。
甲社の問題点と、気になる「その後」
A川さんは2年前に主任へ昇進して以来、メンバー数が半減し業務量が増加した。部下も同様に疲弊しており、A川さんは再三B山課長に改善を訴えた。しかし、対応を怠ったB山課長は管理職としての責務を果たさず部署運営の支障となっている。さらに過去の退職者の離職原因がA川さんの時と同じくB山課長にあるとすれば、人材流出による損害を会社にもたらす重大な問題になる。会社としてまず行うことは、C田専務が営業課メンバー全員への聞き取り調査を行うことで実態を把握する。その結果B山課長に対して管理職としての責務不履行が明らかな場合は早急に本人に改善指導を行い、改善されない場合は配置転換や降格なども含めた対処を検討することになるだろう。
* * *
会社を退職したA川さんは、すぐに転職活動を開始。1週間後、新しい会社に営業主任として採用された。連絡先は変えたままで、甲社からの連絡は一切届かない。
一方、甲社では混乱が続いていた。 職場の業務が滞り、顧客対応もままならない状況に危機感を募らせたC田専務は営業課のメンバー全員に聞き取り調査を実施したところ、B山課長が部下の指導をせずA川さんに丸投げしていたこと、A川さんが業務改善を何度も訴えても聞き入れず、自分だけ18時前に退社していたことが明るみになった。
C田専務はすぐにB山課長を呼び、A川さんが担当していたすべての取引先をB山課長が受け持つように命じた。B山課長は困惑し尋ねた。
「じゃあ、営業課長の仕事は誰がするんですか?」
「それはこっちで考えるから心配しなくていい。とにかく新しいメンバーが来るまでの臨時体制だ。A川君は相当数の担当があるから、しっかり頼んだぞ」
「そんな。明日から残業の日々なんて……」
B山課長はショックでめまいを起こしそうになった。