医学部を目指して5浪、10浪と浪人を重ねる受験生がいる。巨額の予備校費用を払い続け、同級生が社会人として活躍する中、20代を受験勉強だけに費やす。「もう1年」が繰り返される背景には何があるのか。〈年間授業料600万円は当たり前、それでも多浪生が殺到…「医学部予備校」の深すぎる闇〉に続き、医学部専門予備校や医学部多浪生に詳しい教育ジャーナリストへの取材から、医学部多浪の実態に迫った。
4浪までは珍しくない
医学部受験は特殊な世界だ。
他の多くの職業と異なり、医師になるためには何としても医学部に行くしかない。
そのため、何年かけても医学部を目指し続ける多浪生が一定数存在する。
「うちの予備校では、10浪生を面倒見たことがあります」
「ある大手塾では40歳の浪人生がいたと聞きました」
都内の複数の医学部予備校関係者はそう口を揃える。
「一般学部の場合、就活などを考えると2浪までには進学先を決めますよね。でも、医学部の場合は、受験生も親御さんも医学部合格以外の進路を考えていません」(医学部専門予備校関係者)
私立医学部受験の場合、受験生は医者家庭が一般的だ。
「開業医の親からすれば、自分が設備投資をした病院を親族に継いでほしいという思いがあります。受験生からすれば医学部に合格すれば、最終就職先は確保されているも同然なので、数年かけてでも受かればOKと思っているフシがある」
医学部受験生を数多く取材してきた教育ジャーナリストは、次のように語る。
「医学部受験生の多くは、漠然と医師にならなきゃと思い込んでいる。幼少期から友達の親、親戚などから”将来はお医者さんかな”などと軽く言われて、刷り込まれてしまっている。そのせいか、途中で進路転換ができない子が多い印象です」
怪しい医学部予備校も乱立
医学部入試は、そもそも受験機会がかなり少ない。1年間で受験できるのは、総合型選抜(旧AO入試)に加えて、一般入試は国公立医学部が前期・後期の各1回、私立医学部が3〜5校程度のみだ。文系学部を設置する私立大学が500校以上あるのに対して、私立大学の医学部は現在31校しかない。
現役〜2浪までは河合塾や駿台といった大手予備校に通い、3〜4浪くらいから医学部専門予備校に移るパターンが多い。医学部専門予備校の授業料は年間300万〜1000万円以上が一般的だ。
「医学部予備校のサービス内容は、一般的な予備校とは次元が異なります。各科目に担当の先生がついて学習スケジュールも全部組んでくれる。わからないこともすぐに、何でも教えてくれます」(教育ジャーナリスト)
「ご家庭が開業医だと、年間数百万円という授業料でも支払える家庭が少なくありません。高額の授業料を得られることから、2010年代中頃の医学部受験がもっとも加熱していた頃は、合格実績があるのか怪しい予備校も乱立していました」(医学部予備校関係者)
医学部専門予備校に来る多浪生のなかには、学力面で課題を抱えている子も珍しくない。
「浪人を続けても、学力がずっと停滞したままの子は毎年います。私立医学部は問題にかなり癖があるので、ちゃんと対策すれば、春の段階で偏差値10くらいビハインドな状態でも逆転合格は可能です。ただ、何年も浪人してきた子の多くは、自分の学習方法にこだわりがあり、なかなか言うことを聞いてくれません。我流を通して何年も浪人する子、予備校が合わないといって複数の塾を転々とする子もよく見かけます」(医学部専門予備校関係者)
ストレスでギャンブルや夜の店に
また、医学部受験で浪人を続けていると、受験生としての焦りが薄れていくことも多浪が生まれやすい原因の一つだ。
「医学部専門予備校や大手予備校の医学部専門コースのように3浪4浪が当たり前の環境に身を浸していると、浪人年数の感覚が狂ってしまいます。医学部では他学部からの再受験生も珍しくなく、20代なかばでの受験も珍しくありません。SNSなどで同級生が就活をしたり、働き出したりするのを見ても、自分は医学部受験生だからと世間とのズレを正当化してしまう」
浪人を重ねてコツコツ勉強できるのは、ごく一部の優秀な受験生だ。受験のストレスが何年も続けば、精神面の消耗も激しくなり、勉強から遠のく瞬間も生まれてしまう。
「浪人生は学校という生活の枠がなくなるので、夜型になってしまったり、勉強のペースを維持できなってしまったりする人は珍しくありません。ストレスから、パチンコやギャンブルに走ってしまう人、夜の店に通う人もいる。スマホやSNS依存に走ってしまうケースも。医学部受験に限った話ではないですが、昔に比べて自己を律する力がないと受験は戦えません」(教育ジャーナリスト)
医学部の場合、筆記試験に加えて面接試験が実施され、そこで医師としての適性を厳しく見られる。浪人を重ねると、この面接試験が大きな関門として立ちふさがる。
医学部入試は、単なる学力試験ではない。6年間の医学教育を経て医師になる人材を選ぶ、いわば「就職試験」でもある。
「医学部側としては若くて健康で、何年も医師として働けそうな人を合格させたいのは当然です。かつては点数操作による多浪生差別が問題になりましたが、現在はそうした露骨な差別はなくなりました。ただ、長い浪人生活で覇気や快活さがなくなってしまい、落とされてしまうケースがあります」(医学部専門予備校関係者)
「もう1年」を決める3月の家族会議
国公立大学の後期試験が終わり、私立医学部合否が回り始める3月。多くの家庭で「家族会議」が開かれる。
「一番つらいのが、3月に補欠合格の通知が来て、結局合格が回ってこなかったパターンです。『本人も家族も悔しいから、もう一年頑張ろう』ってなるんです。あとは薬学部や歯学部など他の医療系学部に進学するかどうか、予備校を変えるかどうかも議題になるようです」(医学部専門予備校関係者)
金銭的な理由で、医学部受験から撤退する家庭は少ないという。
「正直に言うと受験生に甘い家庭が散見されます。受験生本人にやらされている感があったり、親が子供を厳しく追い込めなかったりするので、合格も撤退もできなくなっている。
“子供の夢を応援している”みたいな大義名分をつけて、受験を続ける家庭も見かけます。弟妹が受験生になると、予備校代が2人分かかることになるので、そこで受験に一区切りつける家庭もいます」(医学部専門予備校関係者)
「医師しかない」は教育として正解か
医学部に合格すれば長い受験生活が終わる。そう信じて浪人を重ねてきた受験生たちは、実際に医学部に入学してから、思いがけない壁に直面する。
「意外と知られていませんが、医学部の留年率はかなり高い。必修を1つでも落とせば留年、2回留年したら退学処分となるのが一般的なため、真面目に勉強しても脱落者はかなり出ます」(教育ジャーナリスト)
浪人を重ねて入学した学生ほど、入学後に燃え尽きや生活リズムの乱れを抱えやすい。こうした傾向を受けてか、近年は「留年を避けたい」「できれば自宅から大学に通わせたい」という保護者も増えているようだ。遠方の国公立を辞退し、地元の私立に通わせる例も珍しくないという。
「将来、医師として活躍するには、ちょっと過保護かなという印象の家庭が増えています。子どもの負担を減らしたいという気持ちは理解できますが、結果として主体性を奪ってしまっている」(医学部専門予備校関係者)
「難関の医学部受験を突破するという視点だけで見たら、至れり尽くせりの教育環境が得られる医学部受験生の境遇は羨ましく見えるでしょう。しかし、彼らが全員、医師になりたいという希望を胸に頑張っているわけではありません。
他の職業の働き方など、社会を十分に見わたす機会が少ないまま医師を志望する人たちを大量に産んでいることは、キャリア教育として成功なのでしょうか」(教育ジャーナリスト)
医学部受験は、個人の努力だけでなく、家庭や地域社会の価値観が強く影響する構造的な問題をはらんでいる。多浪生が医師になれなければ、元々優秀な人材が社会に生かされないだけでなく、医学部の貴重な合格枠を無為にしてしまうことにほかならない。
“医師不足”の議論の前に、誰が、どんな背景で医師をめざしているのかーーその出発点を問い直す必要がある。