純真そうな少女の前で戯れる妖精たち……であるはずがない。見るからにインチキな写真を信じてしまったのが、科学的な推理を身上とする名探偵ホームズを生んだ作家コナン・ドイルだった。
ここでは、英国では今、「20世紀最大のいたずら(hoaxes)の一つ」(英BBC放送)とされている「妖精事件」になぜドイルが引っ掛かってしまったのか、専門家の証言とともに考察する。
※この記事は、シャーロック・ホームズの生みの親、作家コナン・ドイルの数奇な生涯を解説した篠田航一著『コナン・ドイル伝 ホームズよりも事件を呼ぶ男』(2025年11月20日発売)より一部を抜粋・編集したものです。
英国社会を揺るがした「捏造写真」
その事件は、イングランド北部ウェストヨークシャー州のコティングリーで起きた。
1917年7月、二人の少女がカメラを持ち、家の近くの小川で遊んでいた。16歳のエルシー・ライトと、いとこで9歳のフランシス・グリフィスである。
二人は小川で写真を数枚撮った。現像すると、そこには羽が生えた小さな妖精が写っていた。
結論から言うと、二人は撮影から66年後の1983年、これらの写真は「捏造」だったと認めている。トリックはシンプルだ。妖精の絵を模写して切り抜き、ピンで木の葉に固定して撮っただけだった。
だが当時は大騒ぎだった。撮影から3年後の1920年、この写真が一気に英国社会の話題になる。エルシーの母親が、「神智学協会」のエドワード・ガードナーにこの写真を見せたところ、ガードナーは大いに興味を持った。神智学(theosophy)とは当時流行した哲学・宗教思想で、本来、人間には神秘的な力があり、その力で神の啓示を求めるという考えである。この写真の話は、やがてドイルにも伝わった。
ドイルは写真のネガを借りて、専門家に調べてもらった。そして二重露出などのごまかしはないと結論付け、これこそ本物の妖精だと訴えたのだ。
妖精事件の背景を調査している前出の英ハダースフィールド大学のメリック・バロウ博士はこう語る。
「ドイルも最初は懐疑的でした。しかし彼はそもそも妖精を『信じたかった』のでしょう。ドイルは知人の物理学者らに写真を示して、意見を求めました。しかし、実はこの物理学者たちも、半分は霊的な世界を信じる人たちでした。ドイルはさらに写真会社に持ち込んで鑑定してもらいました。写真会社は『合成や特殊処理の証拠はない』と結論付けましたが、一方で妖精が本物とは断言していません。写真会社が言えるのは、あくまでスタジオなどで偽造されたりした証拠はないということだけでした」
見るからにインチキな写真をなぜ信じた?
バロウ氏によれば、実はドイル自身も妖精を完全に信じていたわけではなかったという。早い時点で、ドイルは妖精を作り上げる方法について「紙を切り抜いてピンでとめる」可能性もあると言っている。つまり、捏造の可能性を十分に理解していたのだ。
「しかしドイルは、それ(インチキ説)を信じないことを選びました。理由は二つあると思います。まず、ドイルは二人を純真で無邪気な少女だと信じ込み、インチキを実行できるほど巧妙な技術はないと考えました。もう一つの理由として、もし妖精の写真が世間に受け入れられたら、霊の実在も信じてもらえると思ったのです。ドイルは客観的なように装いながら、実は客観的ではなかったのです」
写真は雑誌に載り、大きな反響を呼んだ。一方でドイルの仲間たちは徐々に離れていった。霊を信じる人の多くも、さすがにこの妖精写真はインチキだろうと思っていた。
冷徹なホームズは『四つの署名』の中で、「女性っていうのは全面的には信用できない──どんなりっぱな女性でも」(『四つの署名』日暮雅通訳)と言っている。だがドイルは違った。結局はいたずらでしかなかった少女たちの写真を最後まで信じることにした。「ただのいたずらだった写真が雑誌に載り、一線を越えてしまいました。もう引き返せなくなり、二人の少女は真相を話せなくなりました」とバロウ氏は話す。
撮影から66年後の1983年、フランシスは英BBC放送などに真実を語った。そして、遠い昔に自分たちが撮った写真が、完全なトリックだったことを告白した。
「詐欺だなんて考えたこともありませんでした。エルシーと私がちょっと楽しんでいただけなんです」
そしてフランシスはこう続けた。
「なぜ皆信じたのでしょうか。今でも理解できません。きっと皆『信じたかった』のだと思います」