いまから約138億年前、ビッグバン直後の宇宙には、光を放つ星も銀河もまだ存在せず、ただ暗闇が広がる「暗黒時代」が続いていました。やがて、最初の星や銀河が生まれ、「宇宙の夜明け」が訪れます。そこから数億年かけて、宇宙は少しずつ光で満たされていきました。
では、この決定的な転換は、いつ、どのように起こったのでしょうか。
じつは、宇宙暗黒時代の記憶を私たちに届けてくれる微弱な電波があります。「21cm線」と呼ばれる中性水素からの微弱な電波です。
古代から現代にわたる人類の宇宙観から、天文学・宇宙研究の最前線までの幅広いテーマを、21cm線によって解明された最新の成果とともにご紹介するのが、『宇宙暗黒時代の夜明け 21cm線で探る、宇宙138億年史』(講談社・ブルーバックス)。本記事シリーズでは、この『宇宙暗黒時代の夜明け』からの興味深いトピックをご紹介していきます。
今回は、宇宙が誕生して約38万年以降に始まる「宇宙暗黒時代」に先立つビッグバン直後の様子を見ていきましょう。
*本記事は、『宇宙暗黒時代の夜明け 21cm線で探る、宇宙138億年史』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
ビッグバン理論の誕生
20世紀半ば、ジョージ・ガモフらは「ビッグバン時に元素がどのように生まれたのか」を論じる重要な論文を発表しました。1946年にはガモフが単独で『膨張宇宙と元素の起源(Expanding Universe and the Origin of Elements)』を、1948年にはラルフ・アルファー、ハンス・ベーテとともに『元素の起源(The Origin of Chemical Elements)』を発表しました。
ここで彼らは、初期宇宙の高温・高圧状態で水素やヘリウムなどの元素が生まれる「火の玉宇宙モデル」を提案し、これが後に「ビッグバン理論」と呼ばれるようになりました。
ガモフたちの発想は画期的でしたが、詳細には誤りも含んでいました。彼らはあらゆる元素がビッグバン直後の核融合で生まれたと考えましたが、実際にはそうではありません。
日本の林忠四郎はビッグバン時の核融合反応を詳細に計算し、「ビッグバンで生成されるのは主に水素とヘリウム、そしてごく少量のリチウムまでであり、それ以上の重元素は星の内部での核融合によって作られる」ことを示しました。
この「重い元素は星の内部で生まれる」という視点は、現代天文学において極めて重要な考え方となっています。
ビッグバン宇宙の高温スープ
ガモフらが提唱した「ビッグバン理論」は、その後の物理学の発展を取り込み、大きく進化していきました。現代のビッグバン理論に基づけば、宇宙初期の様子は次のように描かれます。
ビッグバンが始まった直後の宇宙の温度は、10²⁷ケルビン(0ケルビン=-273.15℃)を超えると言われる、想像を絶する高温状態にありました。まさに灼熱の火の玉のような状態です。比較のために言えば、太陽表面は約6000ケルビン、中心部でさえ約1500万ケルビンにすぎません。また、以降では温度をケルビンで表記します。
ここで「プラズマ」という言葉を補足しておきましょう。物質の状態は通常、固体・液体・気体に分類されますが、十分に加熱すると原子から電子が離れ、電子とイオンが自由に動く「プラズマ状態」になります。蛍光灯や雷が身近な例です。実は宇宙で最も普遍的な物質の状態も、このプラズマなのです。
さらに高温になると、陽子や中性子さえ存在できず、物質は「クォーク」と「グルーオン」という素粒子レベルにまで分解されます。この状態が「クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP:Quark-Gluon Plasma)」です。QGPは、あたかも「クォークのスープ」のように、クォークとグルーオンが自由に飛び回る超高温流体です。
近年の加速器実験では、QGPが水のように粘性の小さい“さらさらした液体”として振る舞うことも明らかになりました。
原子核の基本構成要素「陽子」と「中性子」の誕生
では、物質の構造を少し丁寧に見てみましょう。
私たちの身の回りの物質は原子からできています。原子の中心には陽子と中性子からなる「原子核」があり、その周りを電子が回っています。
水素原子は陽子1個と電子1個、炭素原子は陽子6個と電子6個でできています。原子核を構成する陽子・中性子(ハドロン)は、さらにクォークという素粒子がグルーオンによって結びついた存在です。電子はそれ以上分解できない素粒子とされています。
通常、クォークやグルーオンはハドロンの内部に閉じ込められていて、自由には動けません。
しかし、ビッグバン直後のような極端な高温環境では閉じ込めが破れ、クォークやグルーオンがバラバラに飛び交うQGP状態が実現します(図「クォーク・グルーオン・プラズマ」)。
「ビッグバンからおよそ1マイクロ秒(10⁻⁶秒)が経つと、宇宙は膨張によって冷却され、温度はクォークとグルーオンが結合できる程度にまで下がります。すると、自由に飛び回っていたクォークとグルーオンがまとまり、陽子や中性子といったハドロンが形成され始めます。
つまり、ビッグバン直後の宇宙はクォーク・グルーオン・プラズマという“素粒子のスープ”から始まり、膨張と冷却を経て、まず陽子や中性子といった原子核の基本構成要素が生まれる段階へと移っていったのです。
はじめの3分間に、宇宙で何が起きたのか
▪️数マイクロ経過…急激な温度低下による核融合反応
ビッグバンから数マイクロ秒が経過すると、宇宙に満ちていたクォークとグルーオンが結びつき、陽子や中性子が形成され始めます。その後、宇宙は膨張に伴って急速に冷却し、ビッグバンからおよそ1秒後には温度が約100億ケルビンにまで下がります。
100億ケルビンと聞くと私たちには途方もない高温に思えますが、ビッグバン直後の超高温状態と比べれば、信じられないほどの速度で劇的に冷えたことになります。この温度低下が、宇宙初期の原子核の状態を大きく変化させるのです。
温度が100億ケルビンに達すると、陽子と中性子の反応が活発になり、核融合反応が進行します。これによって宇宙初期の元素が合成される現象を「ビッグバン元素合成(あるいはビッグバン核融合)」と呼びます。ガモフや林忠四郎らが議論したのも、この過程に関する理論でした。
宇宙の温度が100億ケルビン以下になると、陽子と中性子の数の比率はおよそ7対1に固定されます。すなわち、中性子1個に対して陽子が7個という比率です。この比率は元素合成の結果を左右する極めて重要な条件です。
というのも、中性子は不安定で平均寿命は約15分、そのうちに多くが陽子へと崩壊してしまうため、元素合成は限られた時間のうちに進行する必要があるからです。中性子の数が最終的にどれだけの元素が作られるかを決定づけるのです。
▪️約1秒経過…核融合反応により生成される、重水素と光子
ビッグバンから約1秒が経過すると、本格的な核融合反応が始まります。
まず中性子と陽子が結合して「重水素(デューテリウム)」が生成されます。重水素は水素の同位体で、陽子1個と中性子1個から構成されています(通常の水素は陽子1個のみ)。この反応は以下のように表されます(図「核融合反応のモデル(陽子と中性子)」)。
中性子+陽子↔重水素+光子
ここで「光子」とは光を粒子としてとらえた呼び方で、電磁波のエネルギーを担う存在です。
この式に「↔」が付いているのは、生成反応と逆反応が同時に起こっていることを意味します。
中性子と陽子から重水素と光子が作られるだけではなく、その逆の反応である重水素に光子がぶつかることで中性子と陽子に破壊されることも起きるのを意味します。これは何故かと言うと、当時の宇宙はまだ高温であり、エネルギーの高い光子が重水素に衝突すると、簡単に分解されて陽子と中性子に戻ってしまったのです。
▪️3分経過…ヘリウムの合成
ところが、ビッグバンから約3分が経ち、宇宙の温度が10億ケルビン以下に下がると状況は一変します。光子のエネルギーが低下するため、最早、重水素を破壊することができなくなり、重水素が安定して存在できるようになります。
すると、重水素同士が反応し、まずヘリウム3が、さらにそれが中性子と反応することによってヘリウム4が合成されます(図「核融合反応のモデル(重水素と重水素)」)。ヘリウム4は、風船や気球に使われたり、液体ヘリウムとして超低温実験に利用されたりと、私たちの生活にも身近な元素です。
こうしてビッグバン元素合成では、水素の一部が重水素となり、さらにヘリウム4へと変化します。
ビッグバン後の元素の比率は、きわめて精密に予言できる
ここで先に述べた陽子と中性子の比率(7対1)が重要になってきます。中性子の数が限られているため、生成できるヘリウムの量にも上限があるのです。
核融合の過程を理論的に計算すると、初期宇宙で生成される元素はおよそ75%が水素、25%がヘリウム4であると予測されます。リチウムなどのより重い元素もごくわずかに作られますが、その量は水素やヘリウムに比べれば微々たるものです。
重要なのは、このビッグバン元素合成による元素の比率が理論的にきわめて精密に予言できるという点です。そして、実際の観測結果と比較することで、ビッグバン理論が正しいかどうかを検証する強力な証拠となるのです。 天文がもっとおもしろくなる、宇宙の話 架空の執筆者“β”さん本稿に登場した『元素の起源』論文。その著者の一人に名を連ねたハンス・ベーテは、実際には執筆には関わっていません。ガモフが「アルファ(α)、ベータ(β)、ガンマ(γ)」という語呂合わせを狙って、著名な物理学者であるベーテの名前を加えたものです。このユーモラスな命名は科学界でも有名で、この理論は「αβγ理論」とも呼ばれています。ただし、今日の研究倫理の観点からすれば、関与していない人物を共著者に加えるのは不適切であり、許されない行為です。ともあれ、、ガモフたちの理論は部分的に誤っていたものの、「初期宇宙において水素やヘリウムが生成された」という発想そのものは非常に重要であり、その後の宇宙進化の理解に大きな影響を与えました。
*
続いて、ビッグバン理論が裏付けられた経緯についての解説をお送りします。
宇宙暗黒時代の夜明け 21cm線で探る、宇宙138億年史
誕生初期、暗黒だった宇宙の記憶を、現代の私たちに届けてくれる微弱な電波21センチ線。可視光では見えない宇宙の深淵を、この21センチ線という窓から覗くことができるのです。21センチ線を用いた観測によって宇宙の黎明を探る研究を、最新の成果とともに紹介。
夜空を見上げる視線が変わる、最前線の宇宙物語。