GW明けから不登校になった、思春期の娘
この春から中学校に進んだとたんに、長女が学校に行かなくなった。
「不登校」の基準として、文科省は年間30日以上の欠席がある場合、と定めている。長女の欠席日数はそれをゆうに超えているので、不登校に当てはまっていることになる。
不登校の兆候は、小学6年生の3学期からあった。朝に起きられず、そのまま学校に行かない日が増えたのだ。それだけではなく、3つ通っていた習い事をすべてやめたいと言いだした。活発で、知らない人ともすぐに友達になれる性格だったのに、なにごとにつけても消極的になっていく様子が心配だった。
小学校の卒業式と中学校の入学式を経て、長女は中学生になった。公立中学校なので、同学年の子たちはほぼ同じ小学校からの持ちあがりだ。最初のひと月ほどは通っていたが、「部活はやりたくない」「制服が嫌」と、ネガティブなことをたまに口にすることが気になった。
学校の話をあまりしなくなったし、先生たちも一気に知らない人たちに変わったので、親としては学校との距離感が急に遠くなったようだった。小学生の頃からの親友とは同じクラスになり、相変わらず仲良くしているようで、それだけが長女を外の世界につなぎとめている細い糸に思えた。
だが、GWを過ぎた頃から、長女は学校を休みがちになる。朝に起きられなくなり、昼過ぎになってやっと起きてきたかと思うと、半日ほどソファの上でぽんやりしている。夕方になって次女が帰ってくると、何事もなかったかのようにふたりで遊んだり、近所の100均やスーパーに買い物にでかけたりする。そんなふうに学校を休む日が1日また1日と増えていき、やがて週3日、4日と休むようになり、ついには1日も行かなくなった。
長女は、少なくとも側から見ているかぎりでは、悩んだり苦しんだりしている様子はなく、淡々としていた。ただ、学校に行きたくないという意思ははっきりと伝わってくる。
わたしも中学3年生の1学期から不登校になり、高校には1日も通わなかったが、大検を取得して大学に進学した。だから学校に行かなくてもなんとかなる、ということは身をもって知っている。
だが親の立場で子どもの不登校を経験することは、想像を絶するほどつらいものだった。まわりの子どもたちがすごいスピードで前に進んでいっているのに、長女だけがひとり取り残されている。このままだと勉強にはついていけなくなり、友達との関わりもなくなってしまう。
そう思うと、なにもできないもどかしさに焦った。子どもの前では焦りは見せられないので、なにも気にしていないふりをして、子どもが寝た後に泣いた。
自分の痛みより、子どもの痛みを想像するほうが何倍もつらい。というより、子どもの痛みはわたしの痛みそのものだ。
なにかできることはないかと、担任の先生やスクールカウンセラーさん、養護教諭の先生には何度も相談した。先生方は親身になって相談に乗ってくださった。午後から学校に顔をだしてもいいし、放課後だけ来てもいいし、スクールカウンセラーさんに会いにくるだけでもいい、などさまざまな提案をしてくださったが、長女本人が動かないので、どれも実現することはなかった。
本人不在のなか本人について話せることはかぎられている。親として不登校の子どもとどう関わるべきか、ということについてもたくさん相談した。
そんななかで、1学期も終わりかけようとしている頃になって、長女が学校に行きたくない理由を口にした。こちらから理由を聞くことも、学校を話題にすることさえも、長女を追いつめることになるのを恐れて、わたしからは一度もしなかったのだが、学校を休みがちになって5ヵ月も経ってようやく、自分から話してきたのだ。
その理由とは、「委員会のプリントを失くしたから、みんなに迷惑をかけた。行ったら怒られる」というものだった。
大事なことは、学校に「行く」「行かない」ではない
わたしは担任の先生に電話をして、プリントの件について聞いてみた。「どのプリントのことかはわかりませんが、誰も迷惑だなんて思ってませんよ。むしろどうしてるのかなって心配してます。そのことが心配で来れないなら、心配いらないとお伝えください」という返事だった。
先生の返事を伝えると、長女はしばらく黙ってから、「誰にも言わんといてな」と前置きして、「本当の理由」を話しはじめた。その内容をここに書くことはできないが、ちゃんとした正当な理由だった。
「そんなとこ行きたくないよな。パパやったら行かへんわ」
気がつくと、わたしはそう答えていた。何ヵ月も長女なりに悩み、考えて、言葉にしたのだろう。わたしは心から納得した。行きたくない正当な理由がなくなるまでは、無理に行かせるという選択肢はもうなくなった。
隔週で相談に乗っていただいていたスクールカウンセラーさんと、この話をした。長女にはちゃんとした理由がある。だから行かせるためにはどうすればいいか、ということはいまは考えられない。でも、学校に行っていなくても、好きなことはしていてほしい。好きなことをしていると充実するし、好きなことを通して仲間ができたり、社会的なつながりができたりもするから。
そんなことを話しながら気がついたことがある。わたしは中3の1学期から学校に行かなくなった。でも本とマンガと映画が好きで、毎日浴びるように本を読み、映画を観ていた。
そのうち自分でもマンガを描きたくなり、画材屋で画材を買い揃えてオリジナル作品をいくつも描き、雑誌の新人賞に応募するようになった。
また、好きで通っていた映画館でスタッフ募集の貼り紙を見て応募して、歳上の大学生たちに混ざってスタッフになった。1年半ほど家に引きこもった後の、16歳の頃のことだ。それ以降は友達がたくさんできたし、やりたいこともできるようになった。だから、好きなことをしていれば、いずれ仲間ができるし、社会的なつながりもできる、と実感している。
逆にいうと、中3の1学期までは学校に行ってはいたものの、好きなこともなかったし、友達はひとりもいなかった。客観的には「普通」の中学生だったが、毎日は全く充実していなかったし、その頃のことはほとんど覚えていない。
学校に行くか行かないかではなく、充実した時間を過ごせているかどうかが大切なのではないか。そんな時間こそが、その後の自分を形成していくのではないか。
スクールカウンセラーさんと話しながらそう考えたわたしは、いつのまにか長女に多くを求めすぎていたことに気がついた。
学校に行ってほしい。活発なままでいてほしい。新しいことに次々とチャレンジしてほしい。友達をたくさん作ってほしい――それらは全て長女のではなく、わたしの望みだ。そんな望みをなにも持っていなかった頃に、わたしは長女のことをどう思っていただろう。
立ち会い出産をして、病室ではじめて抱きあげたとき、軽さに驚いた。一緒に暮らしはじめてからは、息をしているかどうか、数分おきに気になった。はじめて笑ったときには、なんともあたたかな、優しい気持ちに満たされた。
わたしはなにも求めていなかった。ただ、生きていてくれるだけで幸せだった。赤ちゃんだろうが、中学生になろうが、それは変わらない。気持ちの奥底に隠れてしまっていた感情を掘り起こしてからは、長女の不登校への不安も焦りも、霧が晴れるように消えてしまった。
学校に行っていても行かなくても、生きていてくれればそれだけで嬉しい。
長女の不登校を数ヵ月間ほど経験して、わたしの得た結論はそれだった。
2学期になってからも長女は学校に戻らないだろう。でもいまは、親としての辛さも焦りもない。元気に学校に行っていたとき以上に長女のことが誇らしく思えるし、この先どう育っていくのかが楽しみだ。