9月4日に発売となった書籍『不登校から人生を拓く――4000組の親子に寄り添った相談員・池添素の「信じ抜く力」』(講談社)は、反響が大きかったFRaU webでの連載「子どもの不登校と向き合うあなたへ~待つ時間は親子がわかり合う刻」に大幅な加筆・修正を加えて書籍化されたもの。40年以上にわたり、4000組以上の親子に寄り添ってきた相談員・池添素さんの実践と言葉を、ジャーナリストの島沢優子さんが丁寧に取材した渾身の一冊だ。
本書から抜粋し、小学1年生の終わりから不登校が続く中学生のカナタくんと、彼を支えるシングルマザーのユメノさん親子の話を全3回に分けて紹介する。前編【6年間不登校の中1息子が独学で英語を身につけた! 母の変化がもたらしたもの】では、学校に行かなくてもゲームで英語を独学で学んだカナタくんの様子や、ユメノさんが池添さんと出会い、カナタくんが少しずつ変わっていく様子をお伝えした。中編では、カナタくんが小学校1年生で不登校になった理由と、ユメノさんが「専業母になる」と決断するまでの出来事を詳しく掘り下げる。
給食の完食が「連帯責任」
ところで、友達とのトラブルはありながらも保育園に楽しく通っていたカナタくんは、なぜ小学1年生で不登校になったのか。
「小学校生活は、カナタにとってとにかくストレスフルでした。保育園と違って小学校では勉強しなくてはいけません。学校のペースにまったく追いつけませんでした」
カナタくんのペースと学校のペースが合わなかった。カナタくんは計算もできたし、字も書けた。ただ、スピードが遅かった。
「カナタくん、今日はこんなふうに(担任教諭に)怒られてたよ」
ほかの子どもから聞くたびに、ユメノさんは胸がズキズキ痛んだ。そこで、学童保育所から帰宅するやいなや懸命に勉強を教えた。ひらがな、漢字、算数。それが終わったら次はこれやるよと息つく間もない。フルタイムで働くユメノさんもカナタくんもヘトヘトになった。
勉強に加え、一番の問題は給食だった。何事にも慎重でこだわりの強いカナタくんには、食べられないものが多かった。学校は「好き嫌いなく、なんでも食べましょう」が指導方針だ。カナタくんから「無理して食べちゃって、教室で吐いた」と聞くようになったため、ユメノさんは担任に「どうしても食べられないものは食べさせなくていいです。逃げ道を作ってあげてください」と頼んだ。だが、集団生活をさせなくてはいけない学校は「みんな一緒」にこだわる。よって5時間目の授業が始まる寸前まで給食を食べさせられる日もあった。
親子が見つけた「逃げ道」
とうとうカナタくんが「学校行きたくない!」と言い出した。「そんなこと言わないで。ね? 学校、行こうよ」最初は登校を促すような言葉だったが、「お母さんはね、仕事もあるんだよ」「ごめん。悪いけど、(学校に)行ってくれない?」と懇願するようになった。母と子は追い詰められていた。
ユメノさんはIT関係の会社でバリバリ働いていた。社内での責任も重かった。しかも母子家庭のため「私が養わなければ」とフルタイムで働くことを必要不可欠だと感じていた。
僕は休みたい。ダメ、一緒に行こう―。毎日が綱渡りのようだったある朝、カナタくんがトイレから出てこなくなった。
「おなかが痛い、痛いよ!」
トイレのドアを開け、うずくまって泣く姿を見た時、ユメノさんは大きなショックを受けた。
「担任の先生には『逃げ道をつくって』と頼んだくせに、私自身も息子に対し逃げ道をつくらず追い詰めていた。その事実を突き付けられた瞬間でした」
学校に息子の欠席を伝え、会社も何とか休ませてもらった。毎日学校から「明日どうですか?」と連絡がきたが、「回復するまでは休ませます」と答えた。
「学校は行かせるものだと思い込んでいたけれど、休ませますと言った自分に、何かほっとしたんです」
すぐに池添さんに電話すると「一緒に学校に話しに行こう」と担任や校長との面談に付き添ってくれた。その席でカナタくんが給食を食べられないことが連帯責任としてほかの子どもにも負わされていたことがわかった。食べられるまで、ほかの子どもは昼休みに遊びに出られない「ルール」だった。カナタくんにとって、給食がどれだけ苦しく、プレッシャーだったことか。わが子のしんどさを思うと涙が出た。池添さんが一緒に腹を立ててくれたのが、唯一の救いだった。
「専業母になる」という決断
「専業母になりたい」
ユメノさんは会社に退職を申し出た。専業「主婦」ではなく、専業「母」と表現したところに、ユメノさんの息子への愛情と覚悟が伝わってくる。
「息子のケアに専念しようと覚悟を決めました。会社は事情を知っていたし、すでにパートタイムにしてもらっていたのですが、仕事を続けるのは無理だと思ったんです。生活費のことなど頭をよぎりましたが、とにかく一緒に居ようと思いました」
今はパソコンを用いた創作活動をしたり、母子で出かけることもある。
「広場に通所して先生方にフォローしていただきながら、自分と息子に対する向き合い方を学びました。子育てのやり直しというか、自分たちにとって最善のやり方に転換する作業ができました。池添先生たちの存在には、感謝の言葉もありません」とユメノさんは振り返る。
最初に「学校に行かなくていい」と息子に告げた瞬間は「めちゃくちゃ怖かった」。しかし、そこで立ち止まり、自分自身の生き方までも振り返ることができた。
「人の目、他人の評価や世間の常識、これまでの人生でかたち作られたさまざまな思い込みを基準にして、『こうあらねばならない』と自分をガチガチに縛っていたと思う。そこを見直して『私はどうしたいのか?』に変えていきました」
専業母になってよかったと思う。中学生になったカナタくんから「もう働いていいよ」と言われ、パートタイムの仕事に復帰した。
子どもが自分らしく生きるために
この親子に寄り添った池添さんは、「専業母になる」というユメノさんの決断を「一時的な(子どもとの)向き合い方として大事な姿勢ではないか」と話す。
「学校に行けていない子どもの母親は仕事を辞めて子どもに向き合って、と言いたいわけではありません。ただ、子どもがお母さんに『働いていいよ』と言えた。つまり落ち着いて働ける環境が整ったことは事実です。(子どもが不登校の)親御さんが皆さん悩むところですが、この『いっとき専業母』もしくは『いっとき専業父』もぜひ知って欲しい視点です」
学校に行かせなくてはと、大人は懸命になりがちだ。だが、学校に行かないことを選択した子どもたちは、周囲の対応いかんによってイキイキし始める。
「大人たちが『学校に行かないとダメ』と言うから、行けない子は『自分はダメな人間なんだ』と自己肯定感が下がる。逆に認めてもらえると、子どもたちは自分のことを好きになれます。親御さんがわが子を信頼することを支えるのが、私たちの役割かと思う」
例えば、池添さんがかかわった、とある子どもは不登校だったが、単位制の高校を卒業した。周囲から「どこかで働かなきゃ」と言われ、最初はサラリーマンをしなくてはと悩んだが、本好きだったことから自分で古本屋を開いた。学校に行けず、家で本を読み、ネットで書籍を売買してきた経験が生きたのだ。
一方で、「好きなことを見つけよう」「好きを仕事に」と言われることに辟易(へきえき)とする子どもたちも少なくない。そのことを池添さんに尋ねると「急かされるからやと思いますよ。好きなことが見つけられるまで待ってあげられるといいですね。大人はユメノさんのように子どもとの向き合い方を考え直して欲しい」と話した。
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◇前編・中編は、2021年当時に取材した母・ユメノさんの言葉を通して、不登校の親子の姿をお伝えしてきた。後編【「僕がいっぱい苦労かけたからや」不登校の息子が母から受け取った「最期の言葉」】では、カナタくんに直面した現実をたどる。取材はカナタくんの気持ちを最優先に行われた。彼が直面した出来事をもとに、島沢さんが丁寧に記録した内容をお届けする。