2025年7月17日
ブルーバックスより『生命の起源を問う 地球生命の始まり』が上梓された。
本書は、科学に興味をもつ者にとって、永遠の問いの一つである、「生命とは何か」「生命の起源はどこにあるのか」の本質に迫る企画である。
著者は、東京科学大学の教授であり地球生命研究所の所長、関根康人氏。
土星の衛星タイタンの大気の起源、エンセラダスの地下海に生命が存在しうる環境があることを明らかにするなど、アストロバイオロジーの世界的な第一人者である。
46億年前の地球で何が起きたのか? 生命の本質的な定義とは何か? 生命が誕生する二つの可能性などを検証していきながら、著者の考える、生命誕生のシナリオを一つの「解」として提示する。
我々とは何か、生命とは何か、を考えさせられる一冊。
ブルーバックス・ウェブサイトにて
《プロローグ》から《第二章 地球システムの作り方》までを
集中連載にて特別公開。
*本記事は、『生命の起源を問う 地球生命の始まり』(ブルーバックス)を再構成・再編集してお送りします。
プロローグ
宇宙に数多(あまた)ある銀河。巨大な楕円のもの、小さな車輪状のもの。銀河は数千億個という星々の集まりであり、星々の点描で描かれる幾何学模様は、見ていて飽きることがない。
銀河の一つ、ひときわ美しい渦巻きをもつ銀河の片隅で、いま年老いた一つの星が終末期を迎えている。
その星は徐々に膨張し、真っ赤に燃える巨大な星となり、はち切れそうに膨れている。空気を入れすぎた風船が破裂するがごとく、やがて、膨れきった巨星は大爆発を起こす。星の内部の物質を宇宙空間に撒き散らしながら。
撒き散らされた物質は、強い光と高速の衝撃波を伴って宇宙空間に力強く広がり、静かにたゆたっていた周囲のガスや塵の雲を次々に襲う。このガスや塵の雲も、元をただせば、前世代の星々の爆発により撒き散らされた、星の残骸に他ならない。
衝撃波によって周囲のガスや塵の雲は圧縮され、濃密な小さなかたまりがいくつも生まれる。かたまりの中心は、しだいに高圧高温になり、ある臨界点に達したものから光を放ち始める。
新しい星の誕生である。
ひとつ、またひとつと、ガスのかたまりに光がともっていく。まるで、夕やみ迫る住宅街に、だんだんと家の灯りが点いていくように。銀河において、ある星の死は、新しい星々の誕生の引き金となる。僕らは、連綿と続いてきた星の輪廻の目撃者となる。
新しく生まれた星々。そのうちの一つに近づいてみる。
生まれた星のなかでは、大きさといい組成といい、まず平均的なものといっていい。
近づいてみると、生まれたての星を中心に、回転する円盤が広がっている。円盤のなかの塵は、見る間にごく小さな天体――惑星たち――へと成長していく。岩石や氷でできたこれら天体たちは合体し、互いに距離を保ちつつ、しかるべき軌道に収まって、生まれた星の周りを整然と回りだす。
よく見ると、その小さな惑星には濛々(もうもう)とした大気が取り巻いている。その大気の下には、出来たての地殻と、生まれて間もない海が見えている。
のちに、この海に誕生した生命に、「地球」と名付けられることになるこの小さな惑星は、太陽と呼ばれる生まれたての星の内側から三番目の軌道を回っている。
太陽に比べれば、この天体は、まことに小さく取るに足らない。しかし、これが太陽の光を反射して、小さく青く光る様は美しい。
いかにして生命が生まれたのか
本書では、この小さな岩石の惑星――地球に、いかにして生命が生まれたのかを書こうと思う。
近代的な「生命の起源論」に源流を求めれば、その一つとしてアレクサンドル・オパーリンに行きつく。1922年、旧ソ連の科学者オパーリンは、生命の材料となる有機物――炭素や水素、窒素などを含む化合物――が原始の海に集まり、「有機物スープ」となり、そこから細胞の原型であるコアセルベートが生まれ、やがて生命に至るという考えを提示した。
それ以来、この「有機物スープ」に、いかにして生命の材料が供給されたのかが、100年にわたって議論されてきた。
1953年、シカゴ大学のスタンリー・ミラーは、水蒸気や水素分子、メタン、アンモニアを含むガスに放電することで、アミノ酸ができることを実験によって示した。
また、1969年、オーストラリアに落下した炭素質隕石から、アミノ酸や核酸塩基も見つかっている。
2020年に地球に帰還した探査機「はやぶさ2」の持ち帰った小惑星の欠片にも、同様の有機物が含まれる。一般には、前者の地球の大気などで有機物ができる考えを「地球起源説」、後者の地球外からの生命の材料の供給を「宇宙起源説」と呼ぶらしい。
しかし、100年にわたる議論の末、そのような「有機物スープ」への供給源が具体的に提示されることで、生命の起源が明らかになったかといえば、必ずしもそうではない。
「有機物スープ」はあくまで有機物であり、生命ではない。
仮に、生命の材料といわれるアミノ酸や核酸塩基、リン酸、糖などを一つに集め、溶かした水を試験管に用意したとしよう。まさにオパーリンのいうところの「有機物スープ」である。
しかし、これを煮ても、焼いても、それから運よく生命が誕生することはまずありえない。それどころか、数百年も経てば、このスープに含まれる生命の材料は次第に分解され、より安定な単純な分子――たとえば二酸化炭素や窒素、水――になるに違いない。
有機物と生命との差異は、有機物と無機物(岩石など)の差異以上に大きい。
生命とは、有機物の集合体以上の何かであり、その何かがわからなければ、オパーリンの時代と本質的に変わらない「生命の起源論」に終始してしまうだろう。
グッバイ、オパーリン!
オパーリンから100年、「地球起源説」や「宇宙起源説」を超えて、僕らは、有機物と生命とをわける、本質的な何かを探し求める。
では、その何かとは何であろうか。
それは、地球で起きている物質やエネルギーの流れ――つまり、地球上での循環であると、僕は考えている。
生命は絶えず周辺の環境から、物質やエネルギーを得ることで自分の体を作り変え、不要物を周囲に還している。不要物は地球上を巡り、化学反応を経ることで、再び生命にとって利用可能な物質やエネルギーになって生命に還る。
今の瞬間に、僕らの体に含まれる水分、アミノ酸や核酸、糖を構成する物質は、次の瞬間には体外に排出される。あるものは大気成分になり、あるものは海洋に運ばれ、あるものは鉱物となり、またあるものは別の生物――それはあなたかもしれない――の体内に取り込まれる。
そして、大気や海洋、地殻の循環によってこれら物質は運ばれ、別の瞬間には別の生命の体をつくっている。生命は、地球の輪廻ともいえる、この物質とエネルギーの循環の流れにたゆたう雲のような存在である。
生命は、このような地球の循環という輪廻から、物質とエネルギーを絶えずわけてもらうことで、初めて生命活動を行うことができる。動くことも、代謝することも、細胞分裂も、考えることも、これら生命と有機物を明確にわける生命活動はことごとく、地球の物質とエネルギーの循環なくしては成立しない。
おそらく、原始の生命も、地球の循環とは無縁ではないだろう。いやむしろ、地球の循環の影響を濃厚に受け、それを駆動力として有機物は生命になったのではないだろうか。
そうであるならば、この本の主役は、あるいはこの誕生したての「地球」という惑星、そのものになるかもしれない。
地球の循環と生命の関係に触れたくて本書を書くつもりだが、これは必然的に、地球の循環と現在の人類の関係にも触れることになるであろう。現在の人類の活動も、地球の循環と無縁ではないからである。
あるいは、物質とエネルギーの循環の起きている地球以外の天体と、そこでの生命の可能性にも触れることになるだろう。そうした生命を育みうる循環をもつ天体の特徴と、地球におけるそれを比較することで、地球とはいかなる惑星かということが見えてくる。
星屑からなる僕らの探求
人は旅をすることで、あるいは故郷を離れることで、初めて、自らの住む街や国を客観的に見る視点を獲得する。地球の循環とそれに育まれる生命とは何かを理解しようとすれば、僕らの視点はおのずと宇宙に置かねばならない。
そう。文字通り、現在、僕らの視点は宇宙に置かれつつある。20万年前にアフリカで誕生した現生人類は、地球を飛び出して、その居住域を宇宙に拡大しようとしている。宇宙人類の誕生である。
僕らは、生命が母なる惑星の循環を離れて、宇宙に広がる事件の当事者であり、同時に目撃者でもある。地球とは生命とは何かという好奇心に駆られて、あるいは単に国同士の競争の延長として、宇宙に出ていこうとしている。しかし、地球の循環に育まれた人類は、本当にこの母なる循環から離れて生きていけるのであろうか。
研究とは、一つの星のようなものだといっていい。そこには誕生もあれば終焉もある。よい研究とは、星の爆発のように強い光と衝撃波を伴い、数多の研究を誕生させる。
そして、科学者の人生とは、これまでその科学者が行ってきた研究という星々が、互いに線で結ばれ、一つの星座を形作るのに似ている。星座となった科学者の人生は、何事かを人々に訴えかける一編の詩となる。
さらに視点を引いて観ると、これら多くの研究の星座たちは、一つの銀河を形成している。
――生命はどうやって誕生したのか。この宇宙に僕ら以外の生命はいるのか。
こういった疑問は、一つの研究や一人の科学者に閉じたテーマではなく、それらの集合体として語られ、理解されるべきものである。銀河の大構造と同じように、ひとつひとつの研究の点描の作る幾何学模様を遠くから眺めると、あるいはこれらの問いに対する答えの輪郭が見えるかもしれない。
星が誕生して消えることで銀河自体も姿を変え得るように、研究も生まれては死ぬことで、大きな問いの輪郭も時代とともに動的に変わっていく。
僕らは、この天の川銀河の星々に由来する星屑からできている。その星屑が集まって、生命となり、そして、いま、自分たちの始まりを知ろうとしている。この天の川銀河にも、数千億という星がある。地球生命を一つの生命の種類と数えれば、おそらく、天の川銀河だけでも、生命の種類はその星の数と同じか、あるいはそれ以上いるかもしれない。
しかし、それらのほとんどは原始的な生命かもしれない。起源を問う、自らの存在を問う、僕らのような好奇心をもった生命は、はたしてどのくらいこの銀河にいるのだろうか。
そういったことに、科学者は深く感動し、今日もまた、研究の銀河に点描を一つ足そうとするのである。
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