6月6日の公開からロイングラン人気が続いている映画『国宝』。
観た人たちからは、
「今まで敷居が高いと思っていた歌舞伎に興味が湧いた。演技ももちろんだけれど、背景も知らないことばかりだった」
「歌舞伎の世界があんなに厳しいとは知らなかった。血筋があってもなくても厳しい状態に息が詰まる思いがした」
などのコメントが寄せられている。
映画は、歌舞伎を生業とする男たちの50年にわたる生き様を描く人間ドラマなので、歌舞伎に馴染みがない人でも楽しめる要素はたくさんある。しかし、歌舞伎の背景や現状を知ると、楽しみ方や映画への考察もグッと広がることは間違いない。
まだまだヒットが続く映画『国宝』をより楽しむためのポイントを、文楽や歌舞伎などの取材を多く行っているライターの牧野容子さんが前編に引き続きまとめてくれた。後編では、歌舞伎の血筋と芸について考えてみたい。
以下より、牧野さんの寄稿です。
※文章内には一部ネタバレもありますが、ストーリーを侵食しない程度に留めています。
「襲名」と「血筋」
映画『国宝』の核となるテーマは、「血筋か芸か」だ。
吉沢亮が演じる喜久雄は、長崎の任侠の家に産まれながら十代で親を亡くし、上方歌舞伎の名門当主に引き取られて部屋子(見習い)となる。その当主の家には、横浜流星が演じる実の息子である御曹司・俊介がいる。喜久雄は女形としての天性の才能に恵まれているが、歌舞伎の世界で生きていく上で、血筋という後ろ盾を持っていないことに苦悩させられる。方や、俊介は御曹司として将来を約束された身でありながら、目の前に立ちはだかる喜久雄の才能に打ちのめされる。
この「血筋」という問題は、歌舞伎を含む伝統芸能の世界ならではのテーマといえるだろう。奇しくも現在、「八代目尾上菊五郎 六代目尾上菊之助襲名披露興行」の公演が各地で華やかに行われている最中だ(5月〜12月、東京・大阪・京都で)。今回、八代目を襲名した菊五郎は七代目菊五郎の息子であり、六代目を襲名した菊之助は八代目菊五郎の息子、と、それぞれ父と祖父がこれまで名乗ってきた芸名を引き継ぎ、代々伝わる「音羽屋の芸」を舞台で披露している。ちなみに、音羽屋は歌舞伎の屋号で、尾上一門で使用されている。
その家で受け継がれてきた芸名=名跡を、次の世代にバトンタッチするのが「襲名」だ。報道やドキュメンタリー番組などで襲名シーンを見て、「歌舞伎の名跡というものは代々、血縁者が継承するもの」と思っている人も多いかもしれない。しかし、実はそうとも言い切れない。
「歌舞伎は血筋」が正解なのか?
もちろん、実の子や孫が継承しているケースは多いが、正確には、歌舞伎の世界に“血縁者でなければ継承できない”という決まりがあるわけではないのだ。『国宝』の紹介などでは、「血筋」の部分が多く語られて注目されていることもあり、「喜久雄は異端である」と思う人もいるかもしれないが、そうではないこともお伝えしておきたい。
たとえば、一般家庭に生まれても幼い頃から歌舞伎の幹部俳優の楽屋に預けられて、歌舞伎役者としての英才教育を受ける「部屋子」という制度がある。『国宝』の喜久雄のケースはそれに当てはまる。そして、部屋子の中でも才能があると見込まれた者は、「芸養子」となってその家の芸を継承する立場になることがある。
現在、存命している人間国宝の歌舞伎役者は玉三郎合わせて6名いる。
1)先に紹介した音羽屋の七代目尾上菊五郎は、六代目の養子梅幸の実子。
2)十五代目片岡仁左衛門は、十三代目の実子であるが三男坊で、長男の我當、次男の秀太郎がいたが二人の兄を超えて、当時大人気だった「片岡孝夫」から仁左衛門を襲名した。
3)五代目坂東玉三郎は、十四代目守田勘弥の部屋子から芸養子。
4)六代目中村東蔵は、六代目中村歌右衛門の芸養子
5)四代目中村梅玉は、六代目中村歌右衛門の芸養子。
6)五代目中村歌六は、二代目中村歌昇(四代目中村歌六追贈)の実子。
こうやってみると、6名のうち4名が芸養子や長男・次男を飛ばした襲名となっている。こうなると簡単に「歌舞伎は血筋」「血縁主義」とは言い切れない。
また、片岡愛之助も部屋子から養子となって名跡を継いでいるし、市川右團次は市川猿之助(三代目)の部屋子を経て、上方歌舞伎の大名跡である市川右團次を襲名した。お二人とも歌舞伎のみならずテレビドラマや舞台でも幅広く活躍中だ。
さらに付け加えれば、一般家庭の出身者で歌舞伎俳優を目指そうと思う人にも道は開けている。国立劇場の養成所で研修生として2年間の基礎教育を受けたのちに幹部俳優に入門し、歌舞伎の道に進むという方法もある。
血縁主義が強まったのは戦後から
とはいうものの、現状では、歌舞伎は血縁主義のイメージが強いのも事実だ。歌舞伎が今のような血縁主義の傾向を強めたのは第二次大戦後のことだといわれている。戦前から活躍してのちに人間国宝になった十三代目 片岡仁左衛門や七代目 尾上梅幸のケースもあるように、昔から養子は珍しいことではなかった。
映画『国宝』で喜久雄が歌舞伎の世界に入るのは昭和40年代、悩みながら芸の道を生きる喜久雄に、渡辺謙演じる師匠の花井半二郎が、「(この世界で)親がないのは首がないのと同じ」と話すシーンが印象的だ。このセリフは過去に実在の役者さんが口にした言葉とも言われているが、たとえば先述の三代目市川猿之助(二代目市川猿翁。俳優・香川照之の父)は20代前半で歌舞伎役者の父と祖父という二人の血縁を亡くし、後ろ盾を失った後は役をもらうのにしばらく苦労したという逸話もある。
また、2012年に亡くなった十八代目中村勘三郎の場合は、32歳の時に父(十七代目勘三郎)を亡くし、小松成美著の『さらば勘九郎』の中で、「親父の死後、状況が一変した。役もつかない、切符も売れない。惨憺たる有様だった」と語っていたと記載されている。
二人ともその後、努力して芸を磨き、立派に名跡を引き継いだのはご存知の通りだが、二人のように血筋があっても、若くして親や祖父を失うと、とたんに約束された将来への道のりが困難になってしまうことだってある。それを考えると、血の継承権を持たずして歌舞伎の世界で名跡を継ぎ、役者として大成していくことは、どれほど難しいのだろうか。
また、歌舞伎の家に生まれ、2歳、3歳という幼い頃から厳しい稽古に励んできた者と、そうでない者とでは、練習できる環境で差がつくこともある。血筋があれば、名跡を持つ父や祖父や叔父などから指導を受けることも可能だ。歌舞伎の家に生まれなければ、幼い頃から踊りの稽古ができる場所探しや費用の捻出も大変で大きな負担もかかる。
しかし、歌舞伎研究者やコアな歌舞伎ファンからは、戦後から強まっている血筋重視の傾向を懸念する声もある。本来、継承していくべきなのはDNAなのか、それとも芸なのか……。『国宝』は、そんな歌舞伎の本来あるべき芸のあり方についても問いかけているように感じた。このような声も頭に入れ映画を見ると、また違った考察が生まれてくるかもしれない。
『国宝』を観て、歌舞伎の世界に少なからず興味を持った人は、ぜひ一度、本物の舞台を観に行って欲しいと思う。時代物でも、世話物でも、舞踊でもいい。そこでは、血筋のある人もない人も、若手も、切磋琢磨し、素晴らしい演技を魅せてくれる人がたくさんいる。ぜひ、ご贔屓を作ってみてはどうだろうか。