本は読み始めたら、最後まで読まなければいけない……。そう思い込んではいないだろうか? 著書に『読書を仕事につなげる技術』がある独立研究者・著作家の山口周氏は、「本はエッセンスの2割だけ読んで、あとは捨ててもいい」と語る。そんな山口氏に、読書の「費用対効果」を高める、効率的な本の読み方を教えてもらった。
軽く、薄く全体を斜め読みする
多くの人は、1冊の本を読み始めると、なんとかしてそれを最後まで読み通そうとする傾向があるようですが、このアプローチはとても非効率です。
パレートの法則、という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
もともとはイタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが言い出したのでこういう名前がついているのですが、簡単に言えば「さまざまな分野において、効果の80%は全体の20%によって生み出されている」という一種の経験則です。
このパレートの法則は、多くの本についても当てはまるように思います。つまり、その本から得られる効果の80%は、全体の20%によってもたらされる、ということです。したがって、効率的に読書からインプットを得ようと思うのであれば、いかにしてこの20%の「ミソ」となる部分を見抜くかというのが大きなカギになってきます。
結論から言えば、ミソとなる部分を見抜くには全部読まなければならないのですが、ここでポイントになるのが「軽く、薄く全体を斜め読みする」ということです。
ミソとなる20%の見抜き方について、具体的な手法の話をしましょう。
まず、なにをさておいてもやらなければいけないのが「目次を見る」ということです。目次を見て「総括」や「結論」といった全体のまとめのような章があれば、まずはそこを読んでみる。仮に全体が10からなる章立ての本であれば、この「まとめの章」を頭から終わりまで読んでも、本全体の10%ということになります。
これで全体のエッセンスが汲み取れる本も少なくありません。例えば、少し前に話題になった本に哲学者ハンナ・アーレントの『イエルサレムのアイヒマン』があります。
この本は、ナチス第三帝国においてユダヤ人虐殺のオペレーションを主導したアイヒマンの裁判を傍聴したアーレントが、その裁判のプロセスについて記したものですが、本の大部分は詳細な裁判の記録と感想になっていて、アーレントの主張のエッセンスは巻末のまとめに結晶化しています。
こういった本であれば、まずはまとめを読んでおけばいいでしょう。
段落冒頭の一文だけを読んでいく
一方で、実はこういうケースは少なくないのですが、まとめらしき章を読んでみたけれども「まとめ」っぽいことが書いてなかったという場合にはどうするか。
こういう場合は、目次立てを見ながら「一番面白そうだ」と思える章、興味を引き立てられる章から読んでみます。ここでは、その章の冒頭から一言一句読んでいくことはせず、段落冒頭の一文だけを読んでいくという読み方をします。この読み方であれば、1章を読むのに数分しか要しません。
そうして面白そうであれば、その章を読んでみる。面白くなければ、再び目次に立ち返って、面白そうな章を選び、再び「段落冒頭一文読み」でその章をざっと斜め読みしてみる。
このとき、頭で「面白いか、面白くないか」などと考える必要はありません。段落冒頭の一文から次に読み進まずにいられない、飛ばして読むなんてもったいなくてできない、と思えるかどうかが大事です。
ですから頭デッカチに「読むべきか、読まないべきか」などと考える必要はなく、フィーリングに身を委ねればいいのです。
そうやって、いくつかの章(筆者の場合はせいぜい3~4章ですが)を段落冒頭読みして、それでもなお引きつけられなければ、その本は読むべき本ではないのだと判断します。つまり、「最初の段階で読むべき2割の部分」が見えてこなければ、そもそもその本には手を出さない、ということです。
もちろん、本の冒頭から終わりまでつぶさに読み進むことで得られた「珠玉の一文」を、この読み方だと見逃してしまうかもしれないという恐れはあります。
しかし一方で、こういった珠玉の一文を探すためにすべてを通読しなければならないというのでは、読書の費用対効果はいつまでたっても高められません。
時間が無限にある暇人であればともかく、時間がもっとも希少な資源となっている多くのビジネスパーソンにとっては、「エッセンスの2割だけ読んで、後は捨てる」という読書が有効です。
つづく記事〈【山口周】読書は「株式投資」のようなもの…全部読まなくていい、拾い読みでかまわない〉では、筆者が読書を「投資行為」ととらえるワケを紹介します。