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*本記事は、『世界は基準値でできている 未知のリスクにどう向き合うか』(ブルーバックス、2025年刊行)を再構成・再編集してお送りします。
混乱している「エアロゾル感染」の定義
コロナ禍では「エアロゾル感染」という用語をめぐっても多くの混乱が見られた。エアロゾルとは、もともとは感染症とは関係のない大気環境学の用語である。
日本エアロゾル学会の解説によると「気体中に浮遊する微小な液体または固体」の粒子と「周囲の気体」の混合体であり、粒径については「分子やイオンとほぼ等しい0.001μm=1nm(ナノメートル)程度から花粉のような100μm程度まで約5桁にわたる広い範囲」となっている。
この定義によると、粒径5μmを境界として分けられている飛沫もマイクロ飛沫(飛沫核)も、すべてエアロゾルということになってしまうが、感染症の分野では言葉の使い方が違っているようで、エアロゾルはマイクロ飛沫(飛沫核)と同様の意味をもっている。
このように研究分野によって言葉の扱いが違うことが、混乱のもとになっているのだろう。
国立感染症研究所のウェブサイトでは、「エアロゾル感染」について、
2m以上離れた長距離間での感染、又は感染者の不織布マスク着用が自己申告と他覚的な確認で確認された状況での感染
と説明しており(じつに難解な文言だが)、そこに「粒径」に関する記載はない。
WHOはさきほど述べたように、新型コロナウイルス感染症発生直後は感染経路を粒径によって「飛沫」「飛沫核」「エアロゾル」と区分していたが、その後、方針を転換した。
飛沫感染を飛沫が「目・鼻・口の粘膜に直接曝露する(触れる)ことによる感染」と定義し、エアロゾル感染は飛沫を「吸い込むことによる感染」と定義して、粒径での線引きをしなくなったのだ。
そしてWHOは、空気感染も、エアロゾル感染と同様に「飛沫を吸い込むことによる感染」と定義している。つまり、両者はイコールというわけだ。そして以下のように、それぞれ「近距離感染」と「長距離感染」に区別している(筆者による訳)。
近距離エアロゾル感染(または近距離空気感染)
ウイルスは感染者が咳やくしゃみ、会話、歌唱、呼吸をしたときに小さな液体の粒子となって口や鼻から広がる。そして、空気中を通過した感染性粒子を近距離で吸い込むと別の人がウイルスに感染する。これを「近距離エアロゾル感染」または「近距離空気感染」と呼ぶ。
長距離エアロゾル感染(または長距離空気感染)
換気が悪く人が多く集まる屋内でも、ウイルスが♯伝播{でん・ぱ}する可能性がある。これはエアロゾルが空気中に浮遊したままになったり、会話の距離よりも遠くまで移動したりするためである。これを「長距離エアロゾル感染」または「長距離空気感染」と呼ぶ。
先に紹介した国立感染症研究所ウェブサイトの説明では「エアロゾル感染」は「2m以上離れた長距離間での感染」としている。
しかし、WHOによればこのように、近距離であってもウイルスを吸い込めば、エアロゾル感染であり、イコール空気感染なのだ。
日本における「空気感染」とは?
ここまでをお読みいただいて、読者もかなり混乱してきたと思われるので、ここであらためて用語の定義について、日本とWHOを比較しながら確認してみよう。
飛沫感染の定義
日 本…粒径5μm以上の飛沫による感染
(粒径5μm未満の飛沫による感染はマイクロ飛沫感染=飛沫核感染)
WHO…飛沫が粘膜に直接触れて感染
(飛沫を吸って感染した場合はエアロゾル感染=空気感染)
日本では粒径のサイズで区別し、WHOでは粘膜に直接触れるかどうかで区別されるところが大きな違いである。極端な話、「粒径10μm」の飛沫を「吸って」感染すれば、日本では飛沫感染となり、海外ではエアロゾル感染=空気感染になるということだ。
そして、飛沫感染の条件を満たさない感染を、日本では「マイクロ飛沫感染」とし、WHOでは「エアロゾル感染」あるいは「空気感染」としているのである。
では、「飛沫感染」と「空気感染」の関係は、日本ではどうなっているのだろうか。エアロゾル感染の定義が混乱していることはさきほども述べたが、空気感染は飛沫感染と並んで重要な感染様式であり、空気感染と飛沫感染のどちらを主要な感染経路とみなすかは、感染対策にかかわってくる重要な問題である。
日本では、「空気感染はマイクロ飛沫感染とは異なる感染様式である」としている。空気感染とは飛沫によるものではなく、空気中を長期間ただよっているウイルスそのものによる感染というイメージだ。
このような空気感染の様式は、実際に、結核菌や麻疹ウイルスでは起こりうることが確認されている。ウイルスを含んだ微粒子が空気中を空調などにより長時間ただようことで、感染者との距離が離れていても感染が起こるとされている。
しかし、じつは新型コロナウイルスの場合は、ウイルスが感染性をもったまま空気中を長時間ただようということは想定されていないのだ。となると、日本では空気感染が実際にはどう定義されているのか、わからなくなってくる。
ところが、である。先に紹介した2007年策定の「新型インフルエンザ対策ガイドライン」における用語説明を見直してみて、驚いた。
そこでは「空気感染」の定義にも、次のとおり飛沫の粒径サイズによる分類が用いられていたのだ!
空気感染
病原体を含む小さな粒子(5μm以下の飛沫核)が拡散され、これを吸い込むことによる感染経路を指す。飛沫核は空気中に浮遊するため、この除去には特殊な換気(陰圧室など)とフィルターが必要になる。
これはマイクロ飛沫感染の定義とほぼ変わらない。「空気感染はマイクロ飛沫感染とは異なる感染様式である」としているはずなのに、どうなっているのだろう。
そもそも、空気感染をこのように定義するのなら、新型コロナウイルス感染症の発生後も、飛沫感染より小さい飛沫による感染は、この定義にしたがって空気感染とすればよいはずだ。
にもかかわらず、なぜか日本では「マイクロ飛沫感染」という用語が新たに生み出されたのである。