前代未聞、究極の「冤罪」大河ミステリ——大門剛明さんの最新作『神都の証人』がいよいよ発売!
今回は弁護士の鴨志田祐美さんに寄稿していただいた書評を、特別に公開します。
鴨志田祐美 (かもしだ ゆみ)
弁護士。1985年早稲田大学法学部卒業、2002年司法試験合格。04年鹿児島県弁護士会登録。Kollect京都法律事務所に所属。「大崎事件」再審請求の弁護人を、弁護士登録直後の04年から務める。日本弁護士連合会再審法改正推進室長。著書に『大崎事件と私~アヤ子と祐美の40年』(LABO、2021年)など。
フィクションでも、決してファンタジーではない現実にあった「理不尽」
2009年の『雪冤』以来、冤罪や再審事件をプロットに取り入れ、抜群のストーリーテリングで読者を惹きつけるミステリー作品を発表してきた大門剛明氏。
無実でありながら、捏造された証拠によってあわや死刑に処せられていたかもしれない袴田巖さんが、事件から58年も経ってようやく再審無罪になるという衝撃の事実によって、市井の人々が冤罪の恐ろしさを実感し、再審制度の不備についても注目するようになった、まさにこのタイミングでリリースした渾身の新作が『神都の証人』である。
ときは戦時体制下、治安維持を最重視する国家権力が刑事司法の公正公平を駆逐し、拷問により搾り取った自白で多くの無辜(無実の人)が処罰された時代。本作は、その真っ只中の1943(昭和18)年に無実の罪で逮捕され、その後死刑が確定した父親と、当時8歳だった娘のために、世代を超えた闘いを繰り広げる、多数の弁護士たちと一人の検察官の、83年間にわたる壮絶なドラマを描いたリーガル・ミステリーである。
もちろん本作はフィクションである。しかし、決して現実離れしたファンタジーではない。作中の冤罪事件「谷口事件」の再審請求の経緯の中で登場する様々な場面に、現実の再審請求事件が直面した幾多の理不尽な実態がちりばめられている。例えば、捜査機関が握っていた重要な物証の存在が、事件から何十年もたってようやく明らかになる(袴田事件など)、警察が検察に送らずにいた証拠が再審開始、再審無罪への原動力になる(日野町事件第2次など)、地裁・高裁が重ねた再審開始決定を最高裁があっさり取り消して再審請求を棄却する(大崎事件第3次)などのエピソードがそれである。
長年経ってもほとんど変わらない再審手続の「ルール」
また、作中では1985(昭和60)年頃の出来事として、登場人物が「再審法制定も遅々として進まない」と嘆く場面、その37年後にあたる2022(令和4)年の場面として、シンポジウムで再審法の問題点や法改正の必要性について訴える場面が登場する。事実、本作で描かれている戦前から現代に至るまでの80年余りの間、有罪判決が確定した無実の人を救済する最後にして唯一の手段である再審手続に関する法や制度は、現実社会においてもほぼ変わっていない。
有罪となったもともとの裁判で裁判所に提出されず、捜査機関の手の内に残された証拠を再審請求の段階で開示させるルールがないことや、「法的安定性」(三審制のもとで確定した以上、安易に判決を覆すべきではないという考え方)を盾に、なかなか再審を認めようとしない裁判所、ようやく裁判所が覚悟を決めて再審開始決定をしても、これを不服とする検察官が抗告することで審理が長期化し、開始決定が取り消されればさらに長期化するという実情を、登場人物たちはビビッドな言葉で糾弾する。
「まずは無実だって新証拠を裁判所に出さないといけない。それを元に開示の必要性が認められて、ようやく出してもらえるかどうかってとこや。しかも余程のことがないと認められん」
「意味わからんわ。あっち(引用者注:捜査機関のこと)が証拠を全部握っとるのに、新しい証拠をまず出せやって? 飛車角落ち、いや、王さんと歩だけで戦っとるようなもんやないか」
「冤罪の被害を受けた者からしたら、誤審を受け入れるいわれなどありません。そんなものはただの人柱です。法的安定性? あほちゃうか。アホちゃいまんねん、パーでんねん。そう言いたくもなるというのが正直なところです」
「検察側としては即時抗告するのは公益のためであるといいます。ですが公益って何なん? 皆さんにも考えていただきたい。再審制度は冤罪救済を目的とし、ここでいう公益とは人権侵害をうける側のもんなんです」
加えて、1980年代に4人の死刑囚が相次いで再審無罪となったいわゆる「死刑4再審」のうち、免田、財田川、松山の3事件の再審無罪後に最高検察庁が極秘裏に内部検証を行い、これまで確定審での不提出記録を幅広く開示してきたことを自己反省して「再審請求の理由として主張されている事実との関連性を問うことなく、不提出記録の全部を開示するようなことは許されない。特に、請求人が不提出記録から何か自己に有利な証拠を探そうという証拠漁りを許すようなことがあってはならない」と申し合わせていたことが後に明らかとなった。これについて、作中で登場人物が「検察上層部は躍起になっている。次席検事会議でも再検討がなされていたよ」「次長検事が言うたんでしょう。弁護士の証拠漁りを許さないようにって」とやりとりをするくだりがあり、作者がわが国の再審をめぐる歴史的経緯について、きわめて詳細な調査を行っていることにも驚嘆する。
待ち受ける「どんでん返し」を見逃すな!
しかし、この作品が読む者の心をこれほどまでに激しく揺さぶり、惹きつけるのは、このような史実や事実を下敷きとしつつ、極上のエンターテインメントに仕上がっているからである。ミステリー作家としての大門氏の真骨頂である「読者の想像のはるか斜め上を行く大どんでん返し」は本作でも健在である。そして何より私の魂が共鳴するのは、第一部、第二部、第三部それぞれの扉に記された3人の主人公、吾妻太一、本郷辰治、伊藤太一が全人格を賭けて死刑冤罪(特に第二部以降は死刑執行後の再審請求という、事実上もっともハードルの高い再審請求)の雪冤に挑む、その姿である。
筆者は、弁護士登録から20年以上、大崎事件という鹿児島の再審請求事件の弁護人を務め、そこで味わった圧倒的な理不尽から、ここ10年は再審法改正の実現に向けた活動にも心血を注いできた。すると、「どうしてそこまで熱を入れているのですか」と問われることがある。筆者は「最初から再審弁護人を目指していたわけではありません。でも、偶然、無実を叫びながら長年闘っている原口アヤ子さんという女性を知ったんです。知ってしまった以上、もはや放っておくことなんかできませんよね」と答える。同じことを、映画『それでもボクはやってない』の周防正行監督もおっしゃっていた。「何で痴漢冤罪の映画を一本撮ったぐらいで、そこまで刑事司法の問題にのめり込むの? って訊く人がいるんだよね。逆に、何で俺にそれを聞くの? って思うんだよね。だって俺は知ってしまったんだよ。知らなかった頃には戻れないじゃないか」——。
吾妻太一は、翼賛政治の中で弁護士としての役割を見失いそうになっているさなか、死刑囚となった父の無実を訴える谷口波子と偶然出会い、雪冤のために立ち上がる。元浮浪児で非行歴のある本郷辰治も、波子に出会ったことで検察官になって再審請求を行おうとする。伊藤太一は、道半ばで病に倒れた父の「宿題」を受け継ぐべく弁護士となり、再審弁護団に加わる。彼らも皆、最初から冤罪の救済や再審を目指していたわけではない。「知ってしまった以上、命を懸けるしかない」のだ。
なお、日本では、死刑執行後に再審無罪となった事件も、検察官が死刑囚のために再審請求を行った例も、未だ現実には存在しない。しかし、日本をお手本に刑事司法制度を構築した台湾では、世論の盛り上がりを背景として、2014年、2019年の2度にわたり再審法が改正された。この改正が、法曹3者の意識改革をもたらし、その後検察官が死刑囚のために自ら再審請求をした2件について、再審無罪が確定している。
袴田さんの事件を契機として、わが国でも再審制度を改革すべきとの気運が高まっている。ついに今国会(第217回)の会期末ぎりぎりのタイミングで、野党6党による再審法改正案が議員立法で国会に提出され、秋の臨時国会で審議される見通しとなった。しかし、超党派の議連で多数を占める与党は提出に加わらなかった。これまで再審法改正に極めて消極的だった法務省が、法制審での議論を経て内閣提出法律案として提出すべき、との意向に転じ、与党はこれに忖度したものと考えられている。
本作は、必ずやベストセラーとなって多くの読者を虜にするだろう。そして、本作を通じてこの国の冤罪や再審の問題をも知るにいたった読者たちが、法や制度の改革に向けて世論の追い風を吹かせてくれることを願わずにはいられない。
大門剛明『神都の証人』
冤罪と冤罪で翻弄されたものたちが辿る刮目のドラマ。戦中、時局に媚びる社会情勢の中で苦悩する弁護士のギリギリの戦いは、本人が戦場に送られて戦争が終わってからも、正義を信じる弁護士や検事により引き継がれる。彼らが報われる日は来るのか? そして、父親を奪われた少女に救いは訪れるのか? 社会のひずみを壮大なスケールで活写したリーガル・ミステリの渾身作。
大門剛明(だいもん・たけあき)
1974年生まれ。09年「ディオニス死すべし」(刊行時『雪冤』に改題)で横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をダブル受賞してデビュー。主な著書に『反撃のスイッチ』『告解者』『婚活探偵』『優しき共犯者』などがある。映像化された作品は多く、講談社文庫『完全無罪』が2024年にWOWOWでドラマ化された。