「鉄道マニア」はなぜ暴走するのか?
鉄道ファンの中で、もっぱら列車の走行写真を撮影するのを楽しんでいる人々を「撮り鉄」と呼ぶことがある。近年、急激に増加しているので、駅のホームや線路際でカメラを構えている「撮り鉄」を目にしたことがある人も多いであろう。
ひっそりと線路際で列車の撮影を楽しんでいるのであれば、趣味のひとつとして世間でも許容されるはずだが、中には線路に近づきすぎて列車が緊急停車することとなったり、ホームで駅員の注意に逆らって暴言を吐いたりして社会問題となることが増えている実態がある。
ごく最近でも、6月15日と29日と立て続けに、臨時寝台特急「カシオペア」を撮影しようとしていた「撮り鉄」による線路立ち入り事件が起きた。
近くの撮影スポットには何十人あるいは百人を超える「撮り鉄」が集まっているなか、ごく一部の暴走する人間の行動に迷惑している撮影者も多いけれど、世間の目は厳しくなるばかりだ。
鉄道ファンには「撮り鉄」のほか「乗り鉄」や「模型鉄」「収集鉄」などさまざまなジャンルの愛好者がいる。
あまり大きなニュースにはならないけれど、中央線快速電車のグリーン車お試し期間中には、「乗り鉄」が殺到してドアが閉まらず電車が遅延したとか、電車の運転台後ろに多数の「乗り鉄」が陣取って一般の利用者が下車できなくなり苦情が寄せられたといった話もある。
また、鉄道部品を盗んだ収集家が捕まったとか、有名漫画家のサイン入り記念乗車券を買い占めて本当に欲しかった子供が全く買えず、ニュースになったこともあった(結果、漫画家が激怒して鉄道会社と相談の上、記念乗車券を大増刷、買い占めて転売しても価格が暴落したとの後日談がある)。
「撮り鉄」に限らず、鉄道マニアの「暴走」は急増の一途をたどっていて、鉄道ファンの一人として忸怩たる思いがある。
それにしても、鉄道マニアの一部とはいえ、なぜ社会問題となっているのか?
日本初の「撮り鉄」は徳川慶喜?
「撮り鉄」の歴史は古い。遡れば、徳川幕府最後の将軍だった徳川慶喜が、引退後、趣味三昧の生活を送っていたころ、明治時代中期に静岡付近の安倍川鉄橋を渡る汽車の写真を撮っている。オーソドックスな構図で今さらながら彼の新しもの好きに驚かされると同時に、写真撮影が趣味であれば、列車の走行写真に挑戦したくなるのも頷ける。
第2次世界大戦後になると、一部の好事家が東海道本線を驀進する特急「つばめ」「はと」などの写真を残していて、静かなブームが続いていたことを偲ばせる。
鉄道写真撮影が一躍世間の脚光を浴びたのは、国鉄の動力近代化の陰で急速に姿を消しつつあった蒸気機関車の雄姿を写真に収めようとする「SLブーム」のころだったと思う。
昭和40年代(1965~75年)を中心とした時期であり、高度成長でカメラを所有することが一般的になりつつあったことも影響していた。さらに、「団塊の世代」が大学生から社会人にかけて活発に行動していた時期にもあたり、人数が多い世代であったのでブームになりやすい状況でもあった。
どんな趣味でも人気が沸騰し、大人数が殺到すれば混乱が起きる。「SLブーム」の最盛期には、とある有名撮影地の斜面が三脚で埋め尽くされた異常とも思える光景が報道写真で残っている。混乱もときどき起きたが、決定的な事故が1976年9月に起きてしまった。
記念SL運行で起きた悲劇
蒸気機関車の営業運転は1975年12月に終了し、以後は京都の梅小路蒸気機関車館(現在は京都鉄道博物館)に残る動態保存機のみとなった。
そのうちのC57形1号機(その後、「SLやまぐち号」牽引機として活躍)を使った特別列車「京阪100年号」が、京都~大阪鉄道開業100周年を記念して1976年9月4日、京都~大阪間を往復する予定だった。
わずか1日限定で1往復のみ、それも大都会での運行、夏休みが終わって最初の土曜日ということもあり、沿線には「撮り鉄」のみならず子供を含めた見物客が大挙押し寄せた。
そんななか、午後の大阪発京都行き「京阪100年号」が茨木駅付近で敷地内に侵入した小学生に接触、死亡する事故が発生した。
大混雑ゆえ、後ろから押し出されるように前に出たとかさまざまな憶測があったが真偽のほどは確かではない。
よく「線路内に侵入」というと、2本のレールの間に立ち入るように取られるが、鉄道車両は線路の幅以上の大きさなので、線路に近づきすぎると列車に接触してはねられてしまうことは知っておきたい。
この事故のため、その後の京阪神地区でのSL運転はすべて中止となった。以後、国鉄のSL動態保存運転は1979年からの「SLやまぐち号」まで中断された。
当時の国鉄高木総裁の肝いりで行われた「SLやまぐち号」運転開始にあわせ、山口線沿線は警備が厳重となり、駅などの敷地内も不用意に立ち入らないようロープが張られ、地元の協力もあって運行は半世紀近く続いている。
ブルートレインで若い「撮り鉄」が急増
「SLブーム」は蒸気機関車の引退に伴い下火となった。それに代わって人気となったのが夜行寝台特急(通称「ブルートレイン」)だ。
SLブームよりも低年齢化が進み、小中学生が東京駅や上野駅に殺到して列車にカメラを向けるのが話題となった。この寝台列車ブームは長く続き、最近の「カシオペア」引退ブームに至っている。
1980年代中頃になると、オートフォーカス一眼レフカメラが登場。ピントが合わせやすくなったので、カメラが一層普及し、「撮り鉄」人口も増加の一途をたどる。それでも、ある程度の規律は保たれていたような気がする。
画面に人が入るのを「撮り鉄」が嫌うワケ
撮影地というのは、線路際ならどこでも良いものではない。列車の先頭から最後尾までがきれいに収まり、バックはすっきりしたところ。手前にもごちゃごちゃしたものがないのが好ましい。SL列車なら、煙を盛大に吐いてくれたほうがよい。
そうすると、駅近くの発車シーンや上り勾配であるなど場所は限定される。さらにアクセスしやすいことも条件だろう。いきおい、「撮り鉄」は同じ場所に集まることとなる。
ひそかに知られざる好撮影地を開拓する「撮り鉄」もいるけれど、有名撮影地は誰でも一定水準以上の写真が無難に撮れるので、お手軽な撮影を好むファンが群がるのだ。
場所は先着順であり、SLのような特別な列車は本数も限られるので、何時間、ときには何日も前から待機する。場所を確保するため、三脚を使わない主義でも場所取りのために三脚を立てる人もいる。
早々と撮影スポットを確保する人はベテランのことが多いので、後から到着する新参者は、先客の邪魔にならないように場所を決める。
よいアングルは線路から多少離れているので、後からやってきて線路際に立とうものなら厳しく糾弾されたり、丁寧に説得されて別の場所に移動することとなる。「撮り鉄」は画面に人が入るのを極端に嫌がるのだ。
不思議に思う人もいるだろう。たとえて言えば、映画の撮影などで複数のカメラを何個所かに立てて撮影するときも別のカメラが画面に入らないように工夫しているのと同じだ。
農作業をしている人や列車に向かって手を振っている子供ならともかく、三脚を立ててカメラを構えている「撮り鉄」の姿はのどかな田園風景にはそぐわないのも事実ではある。
こうした声掛けにより、少なくとも線路際にへばりつくようなスポットには立てないので、列車の走行を妨げるようなことにはなりにくい。カメラも望遠レンズや望遠ズーム主体となるからだ。
スマホの普及が暴走の一因に
ところが、近年、スマホが身近な存在となり、安易に写真や動画が撮影できるようになると、状況が大幅に変化してきた。
スマホは広角レンズが主流なので、被写体を撮影するにはどうしても前に前にと出る傾向がある。じっくり撮影することもあるけれど、とっさにシャッターを切ることも多い。
そうすると周囲の状況を顧みることなく、撮影者の前に出たり、横からスマホを差し出して撮影したりする。まさに傍若無人の行動であり、場合によってはトラブルの元となる。
ただ、こうした現象は鉄道撮影に限らない。風光明媚な有名観光地でも、勝手に農地に入って作物を踏みつぶして撮影したり、通行人が多いのに平気で通行を妨げて記念撮影をする観光客も少なくない。モラルやマナーの低下は著しい。これは、「撮り鉄」に限った話ではないが、過激化しやすいのにはこういった背景がある。
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【つづきを読む】『全国でトラブル続出、列車を追いかけ事故死するケースも…暴走する「撮り鉄」たちの「重すぎた代償」』